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呼吸法
西野流呼吸法は緩めることと充足することです。全身が理想的に緩んで宇宙空間に遊んでいる様な状態を宙遊といいます。この宙遊を体得するのです。私は宙遊を体験したことがあります。稽古が終わり自宅への帰路中、自宅の5000m位前から急に身体が雲の上にふんわりのって歩いているようで非常に気持ちが良く、このままの状態でずっと歩いていたい、と思いました。まさしく宙遊でありました。
西野先生との対気で幽体離脱を体験しました。対気で先生に飛ばされ、横になっている私の身体を指導員が手をつかんで運んで動かしている。まさにこの様子を空間上から私の意識が自分の身体の状態や指導員の動きを、様子を見ているのです。何秒間の出来事があってまた意識が通常の状態に戻るのです。何でこの様なことがことが起こるのかわかりません。不思議です。どうも人間は夢を見ている時、夢境でこの幽体離を経験しているようです。この時思ったことは指導員が身体に触った瞬間、非常に気持ちが悪いのです。死ぬ時がこの状態なのだな、と直感しました。
まず丹田。歩く時は丹田と足芯に気持ちをおいて歩くことです。対気で列に並んでいるときは、1元充足に丹田に充分気を入れます。丹田に手をあてて気を出し丹田を温めます。丹田があたたかくなると対気で身体が飛びます。
3元充足が大切です。手をつくるという言葉が西野流にはあります。手に気を通して、鋼鉄の様な手を作ることです。手をつくることで、西野先生は象の鼻のような手をつくりなさいといいます。象の鼻は実にやわらかく柔軟です。そして鼻に水を含みたたきつけると鉄のような鼻に変化します。3元充足が出来るようになると、一人前となります。西野先生の手は得体の知れない手をしています。すごいです。素晴らしいです。
対気は最初は手と手を合わせて対気を行いますが、上達すると手を合わさなくても空間から気が身体に入り身体が飛びます。距離が離れれば離れるほど気の反応は強くなります。気が空間を貫いてゆきます。ですが、身体が飛ぶという表現は正しくないと思います。身体に気が入ると無意識の内に身体が動き出すのです。対気を見ている側は対気で身体が飛んでいるようにみえます。全身で気を出して全身で気を受けるのです。気を出す稽古をしていますが、気を受けることも大事です。全身が緩んで来ると気を受ける装置がひとつひとつ開発されていきます。丹田から気を出して丹田で受けますが、丹田を緩めて緩めて全身が丹田になる様に身体づくりをしてゆきます。どこからでも気を出せる身体づくりです。
手はセンサーで緩んだ手をつくり出してゆくのです。1つがすべてで、すべてが1つの状態です。手を丹田と足芯から連動してゆきます。また百合に入った気が足芯へとストーンと抜けて行くからだづくりです。従って身体の、つまりをひとつひとつを取り除く作業をしているのが稽古です。対気は足芯に気持ちを置いてその他の身体の状態を空にしてゆきます。手に物理的な力が入った瞬間に気が出なくなり、戻ってしまいます。手の意識を忘れることです。手の意識をいかになくすかにかかっています。
下半身、足腰がねれてくると、上半身に力が入らず上半身がゆるんできます。足腰をねることが肝要です。従って丹田から手が伸びて気を出す感覚を体得します。気を前へ出すことはすなわち気持ちを前へ出すことです。特に西野先生との対気は全力120%で臨み、気を前へ出してゆくと相手から気のお返しが来るのです。最初のころは誰でも気が出ず力ばかりです。物理的な力で気の力ではありません。これも徐々に身体がゆるんで来ると気の力が出せるようになります。対気は目の前の人に気を出してゆくのではなく100m先まで気を通してゆく気持ちで対気をしてゆきます。



